大判例

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静岡地方裁判所沼津支部 昭和63年(わ)118号 判決

主文

被告人Eを禁錮二年に、

被告人Tを禁錮一年に処する。

被告人Tに対し、この裁判確定の日から三年間刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、その三分の二を被告人Eの、三分の一を被告人Tの負担とする。

(犯罪事実)

一  被告人らの地位等

被告人Eは、旅館業を営む合資会社大東館の有限責任社員であるが、同社が経営する静岡県賀茂郡東伊豆町〈番地略〉ほか所在のホテル「大東館」(本館、別館山水および別館熱川ロイヤルホテル。総床面積13772.63平方メートル)の営業を実質的に掌理する者であり、消防法上の防火対象物である同ホテルの建物につき、同法八条一項に定める管理について権原を有する者で、かつ同法一七条一項に定める関係者として、消防の用に供する設備等を設置、維持するとともに、自らもしくは防火管理者らを指揮監督して、消防計画の作成、これにもとづく消火、通報および避難訓練の実施、自動火災報知設備等消防の用に供する設備等の点検、整備その他防火管理上必要な措置を講ずる業務に従事している者である。

被告人Tは、ホテル大東館の仲番長で、同ホテルの建物につき、消防法八条一項に定める防火管理者として選任され、消防計画にもとづく消火、通報および避難訓練の実施、自動火災報知設備等の消防の用に供する設備の点検、整備その他防火管理上必要な措置を講ずる業務に従事している者である。

二  被告人Eの過失行為

被告人Eは、ホテル大東館の実質的経営者であり、同ホテルにおいて、宿泊客らを速やかに避難させるために同ホテル本館一階に設置されていた自動火災報知設備の火災受信機の主電鈴停止スイッチが、時折り「断」の状態になっていて火災受信機が発報しても主電鈴(以下、「主ベル」という。)が鳴動しないことがあるのを、かねてから知っており、さらに、昭和六一年二月一〇日午後七時ころ、右設備の火災受信機が発報しているのに、その主ベルが鳴動しないことも知っていた。

したがって、被告人Eには、自ら、または防火管理者である被告人Tらもしくはその他のホテル大東館従業員を指揮して、日ごろから、従業員に対する火災受信機取扱い等に関する指導教育を徹底し、主電鈴停止スイッチを常に定位にして主ベルが鳴動し得る状態にするなど自動火災報知設備が正常に作動し得る状態にあるよう点検、整備するとともに、昭和六一年二月一〇日午後七時ころ、火災受信機の発報に適切に対処し主ベルが鳴動し得る状態に是正する措置を講じて、火災発生時における宿泊客らの生命の安全を確保しなければならない業務上の注意義務があった。

しかし、被告人Eは、これを怠って、自ら、または被告人Tその他の同ホテル従業員をして、日ごろから、従業員に対する火災受信機取扱い等の指導を行わないで、自動火災報知設備が正常に作動し得る状態にするよう点検、整備せず、かつ昭和六一年二月一〇日午後七時ころ、火災受信機の発報に適切に対処し主ベルが鳴動し得る状態に是正する措置を講じないで、同時刻ころから、火災受信機の主電鈴停止スイッチが「断」の状態になっていて主ベルが鳴動しない状態にあるのを放置した。

三  被告人Tの過失行為

被告人Tは、同ホテルの防火管理者であり、同ホテルの自動火災報知設備の火災受信機の主電鈴停止スイッチが時折り「断」の状態になっていて火災受信機が発報しても主ベルが鳴動しないことがあるのを、かねてから知っていた。

したがって、被告人Tには、自ら、または同ホテルの他の従業員を指示して、主電鈴停止スイッチを常に定位にして主ベルが鳴動し得る状態にするなど自動火災報知設備が正常に作動し得る状態にあるよう日ごろから点検、整備して、火災発生時における宿泊客らの生命の安全を確保しなければならない業務上の注意義務があった。

しかし、被告人Tは、これを怠って、日ごろから、自ら、または同ホテルの他の従業員を指示して自動火災報知設備を点検、整備せず、昭和六一年二月一〇日午後七時ころから、火災受信機の主電鈴停止スイッチが「断」の状態になっていて主ベルが鳴動しない状態にあるのに気付かず、なんらの措置を講じなかった。

四  結果の発生

被告人両名のこれらの過失により、昭和六一年二月一一日午前一時四七分ころ、静岡県賀茂郡東伊豆町〈番地略〉所在の同ホテル別館山水(木造瓦葺三階建て、床面積合計約807.10平方メートル)一階パントリー内北壁付近から出火した際、同ホテルの自動火災報知設備の火災受信機主ベルが一切鳴動しなかった。

そのため、待機中の同ホテルのナイトフロント野島秀行および同ホテル夜警員の吉間一郎の両名は火災の発生を早期に知ることができず、火災発生を山水宿泊客らに触れ回りその避難を誘導することもできないまま、火煙が山水全館に拡大して宿泊客らの避難が不可能になり、別紙一「死亡者一覧表」記載のとおり、山水各客室および従業員居室に宿泊、居住していた善如寺俊明(当時二〇歳)ほか二三名が、いずれも焼死により死亡した。

(証拠)〈省略〉

(法令の適用)

各被告人の各被害者に対する判示行為は、いずれも行為時においては平成三年法律第三一号による改正前の刑法二一一条前段および罰金等臨時措置法三条一項一号に、裁判時においては右改正後の刑法二一一条前段に該当するが、これは犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、同法六条、一〇条により、軽い行為時の法の刑によることとし、右は、それぞれ、一個の行為で二四個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により、それぞれ一罪として犯情の最も重い齋藤勉に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中、いずれも禁錮刑を選択し、その各所定刑期の範囲内で、被告人Eを禁錮二年に、被告人Tを禁錮一年に処し、被告人Tに対し、情状によって、平成三年法律第三一号附則三項により同法律による改正後の刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、訴訟費用中、その三分の二を被告人Eに、三分の一を被告人Tに負担させることとする。

(事実認定の補足説明)

第一  はじめに

本件事案の重大性、本件審理における弁護人の主張そのほか審理の経緯にかんがみ、本件火災の出火場所および出火原因等について検討を加え、ついで、被告人両名の過失内容について補足的に説明することとする。なお、本欄に述べる事実は、すべて前掲の関係各証拠により認められる事実である。

第二  本件火災の出火場所および出火原因等について

本件火災の出火場所等の検討にさきだって、まず、ホテル大東館とりわけ別館山水の施設、構造や出火当初の目撃状況等をみることにする。

一  ホテル大東館の概要

1 ホテル大東館(以下、単に「大東館」ということもある。)は、通称伊豆熱川温泉の一角にあって、コンクリート建ての旅館が立ち並ぶ密集した温泉旅館街である。大東館の施設は、本館、別館山水(以下、単に「山水」ということもある。)、ロイヤルホテルの三つに大別できる。本館は、大東館の営業上の中心であり、大東館全体としての玄関も本館に設けられている。玄関付近には、フロント、予約室、会計室、手配センター等がある(別紙三「本館玄関付近見取図」参照)。

2 山水は、本館の北側に県道熱川片瀬線(以下、単に「県道」という。)を挾んで向い合う形で位置し(別紙二「現場見取図」参照)、昭和一四年建築、木造瓦葺地上三階建て、床面積合計807.10平方メートルで客室数一一室、収容人員約三〇名の旅館建物である。山水は、昭和四六、七年ころなどに改修等が加えられ、東側、南側の外装も改装されたが、その基本構造は昭和一四年の建築当時のままであり、廊下、階段が狭い、床がきしむ、壁が薄く隣室の音が洩れる、暖房がきかないなど客からの苦情も多く、老朽化した木造三階建て建物で、既に取り壊しの話も出ていたが、補充的ではあったが客の宿泊に供されていた。

(一) 山水の構造および間取り等は、別紙四「山水一階平面図」、同五「山水一階詳細図」、同六「山水二階平面図」、同七「山水三階平面図」に示すとおりである。なお、各階を昇降するための階段としては、ロビー中央北側の中央階段、ロビー南東隅の内階段、東側外壁に取り付けられたらせん外階段の三つがある。

(二) パントリー(以下、山水一階のパントリーを単に「パントリー」といい、他のパントリーについて述べる時はその旨表示することとする。)床は、ブナの寄木フロアーで荒板の下張りがあり、内壁面は化粧ベニヤ板、天井は流し台付近は石膏ボード張り、その他は板張り、柱は桧となっている。北側には窓があり、窓枠は杉材による木製である。パントリー内には、流し台、ガス台、食器棚等が配置されている。流し台は、幅二〇五センチメートル、高さ七五センチメートル、奥行四五センチメートルの木造で上部はステンレス張りのもの、ガス台は、幅四五センチメートル、高さ六〇センチメートル、奥行四五センチメートルの木造のもので、流し台部分からガス台部分にかけての北壁には、厚さ0.5ミリメートルのステンレス板が張ってあった。食器棚は、ラワン材およびベニヤ板製である。

パントリー南壁には、ロビーと通ずるドアがある。このドアは、木枠の両面に化粧合板を貼り合わせたいわゆるフラッシュドアで、片開きで、ガラスなどもはいっていない。パントリー西側には、二畳間の休憩場所(以下、「パントリー控え室」という。)がある。パントリーとパントリー控え室との間には間仕切り等はなく、両室は空間的には一体をなしている。

(三) 山水一階ロビーの床は、一部コンクリート、他はコンパネ製で、その上一面にじゅうたんが敷かれていた。天井は耐火石膏ボードクロス張り、ロビー内壁面はベニヤ板クロス張りである。ロビー南側には腰高窓があり、曇りガラス入り、アルミサッシ枠である。ロビー西側、地下通路出入口東側付近に、照明用の螢光灯入りあんどん二基が設置されている。その他には、ロビー内には、応接セット、観葉植物程度しか置かれていない。外部との通用口は、ロビー南東隅にある。

(四) 山水一階宴会場の床は、コンパネの上に畳敷き、壁はベニヤ製、天井は耐火ボードにクロス張りである。宴会場東側には、アルミサッシ製ガラス戸がはまっていて、天窓もある。また、宴会場とその西側廊下とは、上半分が障子の欄間、下半分が源氏襖になった襖戸で仕切られている。

(五) 山水北隣の熱川グランドホテルとの境界線上には、東の道路側からパントリー中央部北側付近まで、ブロック塀が設けられている。山水南側の道路との境には石垣があって、その高さは、ちょうど、山水南側腰高窓の下端と同じくらいになっている。

二  本件火災の発見、目撃状況および焼燬状況について

1 大東館従業員による本件火災発見に至る経過、発見、目撃の状況等について

(一) 火災発見前のナイトフロント、夜警員の勤務状況

本件火災の前日である一〇日夜は、ナイトフロントはいつものとおり野島秀行が、夜警員は落合良三が休んでいたため、吉間一郎一人だけが、それぞれ勤務についた。

吉間は、一回目の巡回を一〇日午後一〇時ころから午後一一時ころまで、二回目を一一日午前一時一〇分ころから同四〇分ころまで、それぞれ実施したが、一回目、二回目の巡回とも、吉間は山水に別段不審な点を認めていない。すなわち、二回とも、山水一階南側通用口、ロビー南側窓、宴会場東側窓、男子トイレ窓、各階パントリー出入口ドア、二階、三階東らせん階段の非常口、三階西側非常口が、いずれもきちんと施錠されていることを確認したし、一回目の巡回時に吉間が点灯したロビー西側あんどんは、二回目の巡回時にちゃんとついていた。また、不審者、不審物ともに見当たらず、火の気や煙、異臭なども確認されていない。吉間が一一日午前一時四〇分ころ二回目の巡回から戻った後は、二人は、本館手配センターで、玄関側のドアもフロント側のドアも開け放したままで、玄関付近の出入りや、予約室での電話が鳴るのがわかる位置でテレビを見ていた。ところが、同日午前二時六分ころ、吉間は物音に気付き、野島に「おい、変な音がするぞ。」と言っている。

(二) 野島秀行の火災発見、目撃および行動の状況

野島秀行が、本件火災を発見、目撃した状況、および火災発見に伴う行動の状況は、次のとおりである(以下、これを「野島目撃」という。)。

(1) 野島は、吉間から言われて、手配センターを玄関側ドアから出て、玄関西端のシャッターが閉っていない通用口ガラスドアを通して道路側を見ると、玄関柱右側あたり、山水一階南側窓に、何か、赤い楕円形か半円形の明かりが一つ見えた。この時、山水の窓ガラスは割れておらず、熱も感じなかった。

(2) 野島は、赤いものを確認するため、通用口ドアを開けて、通用口東横の柱の前まで出て、山水を見た。すると、山水南側窓の曇りガラスを通して、山水ロビーの奥の方に、炎とははっきりとは確認できないが赤いものが見えたので、火事だ、と思った。この炎のようなものは、大きさは両手をいっぱいに広げて丸くしたくらい、位置は便所南壁の東寄りからパントリー南壁中央部あたりまでの約2.8メートルの間(火災後の現場での再現計測による。)で、上は天井まで行っていたが、下は山水南側窓の下の壁で見えず床まで行っていたかはわからなかった。この時、山水の窓ガラスは割れておらず、熱も感じなかった。また、煙ははっきりとは確認できなかった。なお、ロビー西側のあんどんの照明は消えていた。

(3) 野島は、直ちに「吉間さん、火事だ」と怒鳴りながら、本館内フロントまで戻り、吉間にすぐ消防署に連絡するように言って、消火器を取りにいった。消火器を探すのは少し手間取ったが、フロント内の一番南隅の木箱の中に入っていた消火器二本を持ち出して、本館一階中央部の階段から山水への地下通路へ降りて行った。この時、自動火災報知設備のベルが一切鳴っていなかったが、右(2)程度の火の大きさであれば、消火器を持って行けば消せると思い、消火に向かった。

(4) 野島が、山水への地下通路の中間くらいに達した時、同人は、初めて、バリバリ、ゴーッという音を聞いた。「土屋(桂一郎)さん、火事だ。」と怒鳴ったが、その音で聞こえないような状態だった。

(5) 野島は、地下通路を山水上がり口の非常用鉄扉のところまで行った。その時、ロビー方向から地下通路方向へ風が吹きつけ、山水ロビーの、地下通路階段の踊り場にあたるところで、真っ黒な煙がゴーッとうず巻くような感じで回っており、その間から真っ赤な炎が従業員居室、寝室の前あたりに見えた。地下通路階段を一、二段を上がってみたが、山水ロビー内は、真っ暗で見えず、またガラスが割れる音がして、ゴーッという吹込みが強くなった。

(6) 野島は、地下通路の山水上がり口のところに数一〇秒いたが、消火器による消火をあきらめ、消火器をその場において、地下通路を本館に戻り、フロントで被告人Eに電話し、火事を知らせた。この時、通用口ガラスドアを通して山水を見ると、見える範囲の窓は全部が割れていて、そこから炎が吹き出ていた。

(7) 被告人Eに電話連絡をした後、鳴っていない自動火災報知設備のベルを鳴らそうと思い、予約室内の火災受信機(後記第三、一、1参照)のところに行って、スイッチ盤の蓋を開け、後にそれとわかった主電鈴停止スイッチ(同2参照)を上下に動かしたが、ベルは鳴らなかった。

次に館内放送をしようと思い、予約室内の非常用放送設備のアンプを操作したが、動揺していてマイクのスイッチをいれなかったため、館内放送ができなかった。

(8) 予約室から出て、また表を見たら、山水二階の窓はもはや炎によって見えない状態で、本館にも来そうな勢いで炎が巻いていた。

(9) 野島は、本館の宿泊客に火事触れをすることとし、二階、三階、四階と順に一部屋ずつ、客が起きるまでドアを叩いて回った。本館三階、四階で、廊下にあった火災発信機の押しボタンを押してみたが、やはりベルは鳴らなかった。

(三) 吉間一郎の火災発見、目撃および行動の状況

吉間一郎が、本件火災を発見、目撃した状況、および火災発見に伴ってなした行動の状況は、次のとおりである。(以下、これを「吉間目撃」という。)。

(1) 野島が手配センターを出て行った後、吉間も、フロント側のドアから手配センターを出た。野島は通用口ドアを出て、すぐに「火事だ。」と叫びながら戻ってきたので、吉間も通用口ドアから外へ出てみた。すると、山水一階南側窓の曇りガラスを通して、赤々とした火が見えた。吉間によれば、その大きさはだいたい一メートルくらいで、その左三分の一がパントリー南側ドア付近、右三分の二がトイレ南壁付近にあり、高さは人の顔の高さくらいまではあったが、天井には届いていなかった。吉間としては、ロビー全体に広がっていなかったし、今行けば消せるくらいの火だと思った。この時、ガラスの割れるような音は聞いていない。また、自動火災報知設備のベルは一切鳴っていなかった。

(2) そのような火を見た瞬間、吉間も「火事だ。」と言ってすぐに中に戻った。野島が消火器を探していたので渡してやり、野島から頼まれ、フロントの電話を使って消防署に電話をかけようとしたが、焦っていて、電話番号の前に○をダイヤルするのを忘れていたため、電話はプープーと鳴るだけで、消防署にはつながらなかった。

2 大東館従業員以外による本件火災の発見、目撃等の状況について

(一) 飯田富二夫、飯田温子の発見、目撃状況

一〇日夜から一一日未明の火災発生時にかけて、山水三階八〇一号室(位置は、別紙七「山水三階平面図」を参照。)に宿泊し、難を逃れた、会社員飯田富二夫(当時二七歳)、その妻飯田温子(当時三〇歳)は、次のとおり本件火災を発見、目撃している。

まず、飯田温子は、寝ながら、ガシャンという遠くでガラスの割れるような音を何度か聞いた。そのうち、飯田富二夫は、胸がなんとなく苦しくなって目をさまし、見ると室内には白い煙のようなものがいっぱいになっていた。このとき、ベル、サイレンの音や人の声はしておらず周囲はシーンとしていた。富二夫は同室南側の窓を開け、やや身を乗り出したところ、ゴーッという音とともに、バチバチという大きな焚き火でもするような音が聞こえ、左(東)斜下四、五メートルから火がまとまって噴き出していて、四、五メートルの高さの火柱がいきおい良く燃え上がっているのが見えた。ただし、火の噴き出しは割合部分的だった。

富二夫は、「火事だ。」と叫んで温子を起こしたが、この時、就寝時に点灯したままにしておいた室内の電灯が消えていることに気がついた。温子も、急いで南側の窓から外を見たが、やはり、左斜下四、五メートルあたりから火がまとまった感じで噴き出してその火が立ち上がってものすごい勢いの炎になっているのを見、火の燃えるゴーッという音とともに、ガラスの割れるようなガシャンという音も聞いた。

ついで、温子は廊下に通じる同室北側の木製ドアをあけようとしたが、ドアと床の隙間から熱気のようなものが入って来るのを足に感じたため、ドアを開けるのをあきらめた。二人は、同室西側の窓を開けて、そこから大声で何回か「火事だ、助けてくれ。」と叫んだ。この時、室内は白い煙のようなものがあって、息苦くはあったが、全く呼吸ができないというほどではなく、また、西側の窓からは火は全く見えなかった。温子は、山水南側県道に、二〇歳代中ごろから後半くらいの男一人(関係証拠により土屋勝彦と認定できる。)が立ち止まっているのを見たが、この男は、慌てた様子で西の方へ走って行った。

山水西側大東館従業員寮に住む大東館従業員の伊東は、飯田らの助けを聞きつけた。飯田らは、伊東のこっちへ来いという合図に従って、前記窓から従業員寮二階の庇を伝わって従業員寮側へ脱出した。なお、飯田らは、山水からの脱出避難中も人の声やサイレン、ベルの音を全く聞いていない。

(二) 青木良男、清水洋志の発見、目撃状況

大東館の付近に居住する高校生青木良男、清水洋志は、次のとおり本件火災を発見、目撃している。青木良男と清水洋志は、一一日午前二時六、七分ころ、それぞれヘルメットを着用したうえ、バイクに前部青木、後部清水の形で二人乗りをし、丸幸酒店前付近から、東のT字型交差点にかけて、坂をエンジンをかけずに惰力で、ブレーキをかけながら下り始め、何秒かしたところで、レストランカウカウのガラス戸がオレンジ色に染っているのを発見した(別紙二「現場見取図」参照)。なお、清水は、このころ、かすかに車のクラクションの音を聞いた。さらに、二人が、山水南側に差しかかった際、山水三階の西側窓から、男性(関係証拠により飯田富二夫と認定できる。)の「助けてくれ。」という声と、女性(同じく飯田温子。)の「キャー。」という悲鳴を二、三回聞いた。また、その直後に顔に熱さを感じ、山水の一階内部はメラメラと燃えていた。この時、山水一階南側の窓ガラスは割れておらず、煙もどこからも出ていないように見えたし、山水二階にはまだ火が回っていなかった。二人は、T字型交差点を右折し、バイクを海岸道路沿いの駐車場に一旦止めて山水の方を見たが、山水東側の南寄りに設置されているタンクの付近から、青木は火が出ているのを、清水は煙が少し出ているのを、それぞれ目撃した。そこで山水を見ていたのは三〇秒か一分くらいで、その後バイクのエンジンをかけて約二〇〇メートル南に走り、そこでバイクから降りてバイクを片付け、走って大東館本館玄関前まで戻ったところ、山水南側の火はもう二階に燃え移っているようで、山水一階南側の窓ガラスがみしみし音を立て、そのうちパリンパリンと割れ始めるのを目の当たりにした。ガラスが割れたところからさらに炎が上がった。青木らは、火で顔が熱かったので、本館玄関のシャッターまで後退してしばらく火災を見守っていたが、周囲は静かでベルの音も聞こえず、人の気配もなかった。その後、道路に人が出てきて消火活動も始ったので、青木らはこれを手伝うなどした。

(三) 土屋勝彦の発見、目撃状況

大東館近くの貸店舗ビルで焼肉屋美津和を経営している土屋勝彦が本件火災を発見、目撃した状況は、以下のとおりであった。なお、土屋は、一一日午前一時半ころにも山水と本館の間を通行しているが、この際は、何も異常を感じていない。

土屋勝彦は、そろそろ店を終えて帰宅しようかと思い、店の前の道路に出ると、店の前の県道の坂を高校生二人(関係証拠により青木および清水と認定できる。)がバイクに乗って惰力で坂を降りて行ったのを見たが、まもなくしてガチャンという音が聞こえた。土屋は、その音をオートバイが転んだ音ではないかと思い、通り抜けができるようになっているペンションつくし館に西側から入って東側(県道側)のベランダに出ると、バイクは見えなかったが、三春寿司の前の道路あたりがオレンジ色のように赤くなっているのを発見した。土屋は、道路の色を見て、転んだバイクが火を出したと思い、さらに三春寿司付近まで行ってみると、バイクではなく山水の一階内部が真ん中あたりを中心に火の海という感じで勢いよく燃えているのがわかった。二、三階がどうであったかはよく覚えていないが、火は外には吹き出していないように見えた。このころ、人の声やサイレン、ベルの音は聞いていない。

火事を発見した土屋は、急いで一五秒ないし二〇秒くらいで店に走り戻り、すぐに消防署への一一九番通報をした。土屋勝彦による一一九番通報は、東伊豆町消防署において指令員が記入する火災通信記録および一一九番通報を受電中に自動的に時刻と会話を記録する装置である時刻発収録架にそれぞれ記録されている。同署の火災通信記録は、通信台上にある分単位のデジタル時計にもとづき通話終了時刻を記載するが、これによれば、土屋との通話および消防署からの再呼により応答した焼肉店美津和の女性との通話の終了時刻は、一一日午前二時一一分台とされている。また、当時、同署の時刻発収録架の時刻設定は一分弱遅れていたが、同装置の一一日午前二時八分四一秒から一分二三秒間、右通話が記録されている。したがって、土屋の一一九番通報開始時刻は、午前二時九分台の後半である。土屋が火災を発見してから焼肉店美津和に戻る時間を考慮すると、土屋の火災発見時刻は午前二時八分か九分台の前半ころとなる。同人は、通報後、もう一度三春寿司付近に戻り、山水を見たが、窓から炎が吹き出ることはなかったが、山水の中は、さっきよりさらに火が強く、みるみるうちに火が燃え拡がっていた。このころも、人の声などは聞こえなかった。

(四) 高橋司、長山正昭、山崎康夫の発見、目撃状況

同じ会社の同僚である、高橋司、長山正昭、山崎康夫の三人は、伊豆方面を観光ドライブ中、次のとおり本件火災を発見、目撃している。

高橋らは、運転席高橋、助手席長山、後部座席山崎の形で乗用車に乗車して、仮眠場所を探すため、山水南側の県道を西から下って来たものであるが、ちょうど海岸沿いに駐車場があったため、駐車場の、グランドホテルと山水の境付近のグランドホテルのほぼ東側にあたる部分に、車の前部を西側山水方向に向けて駐車した。

車内ではラジオの深夜番組の内容から推測して一一日午前二時七、八分ころ、高橋が、山水東側一階天窓の右端に、だいだい色をした四、五〇センチメートルの炎が、建物内の奥の方から天井をはって大きくなってくる感じで窓側に向かってくるのを発見した。この時、ガラスは割れていなかった。高橋に言われて長山もこれを見、「火事だ。」と言った。高橋は、車から降り、電話ボックスがないかとその場で周囲を見回したが目に入らなかったので、付近に火事を知らせるため、大声で一〇回くらい「火事だぁ。」と叫んだ。山崎は、このころ窓ガラスがガチャンと割れてものすごい勢いで火が吹き出したのを見た、とする。また、山崎は、火事を知らせるため、後部座席から運転席に手を伸ばし、車のクラクションを、少し間をおきながらパーッ、パーッとある程度長い時間、四、五回鳴らしたが、少しすると、グランドホテルの東側の窓から人が顔を出したので、叫んだりクラクションを鳴らすのをやめた。同じころ、高橋らは、ヘルメットをかぶった二人乗りのバイク(関係証拠により、青木および清水のバイクと認定できる。)が、県道の坂を西から東へ下ってきたのを見ている。高橋は、この時点でもまだ炎は外に出ていなかった、とする。また、長山は、当初窓の奥に火を見てから一、二分経過したころ、山水東側北寄りの天窓から火が吹き出した、と述べている。

3 焼燬状況および遺体の発見状況について

火災後、現場で行われた検証、実況見分の結果を総合すると、山水等の焼燬状況、被害者の遺体の発見状況は、次のとおりである。

(一) 山水の焼燬状況

山水は全焼して敷地全般にわたって焼燬物等が二、三メートルほどの高さに堆積し、鉄製不燃物等が埋もれたり突出したりしていた。山水外壁のうち、東、西、南の三面は、内側に向かって倒壊していた。北壁も全体にわたり焼燬していたが、辛うじて焼燬残存する中央部付近の軸組みが上部をグランドホテルの外壁に寄りかかる形で外側に向かって倒れていた。

木材の炭化は、パントリーガスコンロ上方にあたる二階床付近が深かった。

便所付近の北壁は、モルタル部分が内壁に対応して一部残存していた。

パントリー内部には、梁や、二階、三階の根太、什器類が雑然と堆積し、これを取り除くと、床面付近には比較的細かなものが多く堆積していた。床面は、東側が燃え抜けていた。すなわち、北側約一メートル、西側約1.6メートルの範囲では、二重張りの床板、床板を支える大曳が残存するが、その他の部分の床板は全部焼失し、大曳も部分的に焼失していた。パントリー北壁は、パントリー東端部から中央部の柱までは、壁は土台を含めすべて焼失しており、中央部から西へは、床面から七五センチメートルの高さで外郭の原形を残していた。この残存部の焼燬状況は、東寄りのほうが西寄りより、北側の方が南側より、強かった。パントリー南壁(ロビーとの仕切壁)は、完全に焼失していた。パントリー東側にあった食器棚は、全く形跡が認められず、パントリーとトイレと便所との仕切壁は、柱の一部、壁の木摺りおよび間柱等の一部が残存していて、その焼燬度は、北寄りが深く、南よりが浅かった。パントリーの各柱の炭化状況は、特に焼けの方向を示していない。パントリー内の炭化物や床残存部からは油臭は感じられなかった。

パントリー控え室の畳は表面は焼燬していたがその程度は浅く、原形を残していた。畳の下の床板は焼燬していない。パントリー控え室の壁は、形態がわかる程度には残存していた。

一階トイレの焼けの方向性は、パントリー側からトイレ側への方向を示していた。

一階従業員居室の畳床は全体に沈み、畳表も焼燬しているが、畳としての原形は止めており、床板は、北端から1.20メートルが焼失し、それより南は虫食い状に残存していた。同室の壁はすべて焼失し、居室北端の土台も焼失してコンクリート基礎が露出していた。従業員寝室の壁は焼燬しており、これを剥がすと、東西二枚のコンパネが張られていたが、東側のコンパネの方が焼失面積が広く、また裏面(下側)の方が表面(上側)より焼燬度が強かった。同室の北壁はすべて焼失していた。

一階ロビー床面には、燃え抜け等の異常な焼燬箇所は認められず、油臭も感じられなかった。

一階西側倉庫の合板製床板の表面(上面)は焼燬が認められなかった。

三階のうち、北西隅の部分が確認できたが、その焼燬状況は、東側からの延焼方向性を示していた。

(二) 大東館従業員寮の焼燬状況

山水西側に接する大東館従業員寮(兼土産物店)は、東側寮部分は、中央から東側の焼燬が激しくほぼ焼失状態にあり、中央から西側の焼燬状態は東側ほどではなく、西側土産物店部分は、一部が焼燬しているがほぼ原形をとどめていた。

(三) 熱川グランドホテルの焼燬状況

山水北側に隣接する熱川グランドホテルの南側外壁には、黒褐色の変色、一部の破損等、受熱の痕跡がある。その焼けの方向は、山水パントリー控え室付近上方から東側に向かっていた。

山水との境界上のブロック塀南面にも受熱痕があり、山水トイレ付近から西側にいくに従い薄茶色に変色して、パントリー側から宴会場側への延焼の方向性を示していた。

熱川グランドホテル外壁の山水パントリー控え室北側にあたる部分には塩化ビニール給排水管等があったが、その管の南東側表面が顕著に炭化していた。

グランドホテル南側には庇があったが、山水パントリー中央部北側から山水廊下北側にあたる部分のたるき、母屋が焼失、脱落している。この部分より東側の庇は残存し、右焼失箇所を起点として西から東への延焼方向性が認められた。山水従業員居室、寝室北側にあたる部分の庇の三本の柱の炭化状況をみると、東側の柱ほど炭化が深く、それぞれの柱では東面、南面の炭化が深く、パントリー側から西への延焼方向性を示していた。

(四) 被害者の遺体の発見状況について

二四人の死亡者の遺体は、二二名については、それぞれが宿泊、居住していた部屋のほぼ直下で、山水二階七〇五号室に宿泊していた越智修および越智悦子の二名については、二階北側通路(七〇二、七〇三号室付近)の直下で、堆積する小型焼燬物等の中に埋もれているのが発見された。

三  本件火災の出火場所について

1 ロビーについて

前記認定の事実によると、火はパントリーを中心として東西に拡大していったことが認められるところ、ロビーには火源となるものは電気器具、その配線およびたばこの吸いがら入れしかなく、火災前日まで電気器具およびその配線には異状な点が見受けられなかったし、火災前日の吸いがら入れは前日夜、従業員が引き揚げる際に始末して帰ったことが認められ、火災後ロビーに油臭のなかったこと、夜警員の最後の見回りに不審な点は見受けられなかったし、山水に出入りするにはナイトフロントおよび夜警員の詰める前を通過しないで入ることはできなかったことが認められるばかりか、前記認定の焼けの状況からみてロビー側が出火場所であると認めることはできない。

2 パントリー内について

(一) 長期低温加熱による出火の可能性について

(1) パントリー内に存する火源となるものについては、ガス湯沸し器、電気器具、その配線およびたばこの不始末等があるが、ガス湯沸し器は、ガス自動的点滅式で、北壁から離して設置されており、火災前日も従業員が種火を消して帰宅しているし、パントリー内の屋内の電気配線は火災前年の検査で異常がなく、コンセント、スイッチ、電灯で調子の悪いところもなかったし、パントリー内の電気冷蔵庫には日ごろから異常がなく、その位置の焼けも弱いし、火災前日、従業員が吸いがらをパントリー内の吸いがら用空き缶に捨てて水をかけて処理しており、実際にもこの缶の下の床面はほとんど炭化していないし、パントリー内に薬品、油類等自然発火性物質は一切置かれておらず、火災前日、夜警員の吉間一郎が、山水各所が施錠され不審な点がないことを確認しており、内部からの放火の可能性は小さく、北側外壁からの放火についても熱川グランドホテルとの間げきは障害物が多く侵入困難な場所であり、かつ外壁が着火しにくい構造でもあるため可能性が小さい。実際、パントリー付近の炭化物、床面残存部に油臭が認められておらず、野島目撃、吉間目撃の火の大きさ、形は、灯油のようなものをまいて放火した場合の火の大きさ、形とは異なっていて、これらが火源とは考えられない。

(2) もと、パントリーにはガスコンロはなかったが、昭和三七年ころ、パントリーの北壁化粧合板にステンレス板を張り、流し台、ガスコンロ等が設置され、それ以後、本件火災に至るまで、そのままの設備が使用されており、パントリーガスコンロで使用されていた鍋は、直径約三三センチメートル、深さ約一五センチメートルのアルミ製大鍋と、直径約二二センチメートル、深さ約8.5センチメートルのアルミ製小鍋の二種類のみである。大鍋は、宿泊客用の汁物等の温め用に、小鍋は、山水担当従業員用の食事の温め用に、それぞれ使用されている。

前記昭和三七年から、昭和四三年のロイヤル完成までの間は、山水に毎日平均して三、四〇名の宿泊客があったので、パントリーガスコンロを、朝、味噌汁加熱に約一〇分、昼、おしぼり加熱に約一五分、夜、吸い物加熱に約一〇分、計約三五分程度、毎日使用していた。

しかし、ロイヤルが完成後は、山水は、土、日、祝日や夏休みは二、三〇人の宿泊客があるが、平日には宿泊客がなく使用されない状態となり、宿泊客がある場合、パントリーでは、朝、味噌汁加熱のため五ないし一〇分くらい、昼、おしぼり加熱のため約一五分、夜、吸い物加熱のため五ないし一〇分くらい、一日合計二五ないし三五分、ガスコンロで大鍋を使用していた。また、月に三、四回、従業員用の食事を温めるため、ガスコンロで小鍋を二、三分ずつ使用していた。

本件火災前月の昭和六一年一月は、元旦から五日くらいまでとその他の土曜日程度しか山水の宿泊客がなかったが、同年二月にはいってからは、土、日曜日のほか、八、九、一〇日と連続して宿泊客があり、一〇日は、ルーム係の小沢和子が、午前一〇時一〇分ころから二、三分間、ルーム係三人分の味噌汁を温めるのにガスコンロを使用し、また、ルーム係の土屋よしえが午後七時五〇分ころから二、三ないし五分くらい、大鍋を使用して、三人分の吸い物を温めた。

(3) パントリー北壁のガスコンロ付近の部分は、内側から外側へ、順に、ステンレス板、ベニヤ板、横板(すなわち小舞貫胴縁(こまいぬきどうぶち))、間柱、縦板(すなわち木摺)、横板(小舞貫)、間柱、横板(下見板)、ルーフィング、ラス張り、モルタルにより構成されている。

ベニヤ板の厚さは約四ミリメートル、小舞貫は杉で幅約四五ミリメートル、厚さ約一四ミリメートルでおよそ二、三〇センチメートルの間隔、次の間柱は杉で幅約四〇ミリメートル、厚さ三五ミリメートルで四五センチメートル間隔である。

床面から約八〇センチメートルの高さにもとの窓の敷居の横木があり、そこから間柱で約二二センチメートルかさ上げされて改装後の窓の敷居の横木がある。

すなわち、ガスコンロとの関係では、ガスコンロに面する部分は、ステンレス板が打ち付けられたベニヤ板であったこと、小舞貫はガスコンロ付近に少なくとも一本はありベニヤ板の裏側に密着していたこと、間柱の間隔、流し台、ガスコンロ台の幅からするとガスコンロとほぼ相対する位置に間柱が一本あり小舞貫と密着していたこと、ガスコンロ上の鍋の高さに相当する高さにもとの窓の敷居の横木があったこと、内側ベニヤ板と外側モルタル壁の間にもう一枚のモルタル壁が挾まれた二重構造で、それぞれの間に空間があり、パントリー北壁のステンレス板張りベニヤ板のガスコンロ付近裏側には小舞貫、間柱が順に密着し、少し上には敷居の横木もあり、かつ周囲全体が壁内空間になっていて対流がなく断熱材の役割を果たすから、加熱があればベニヤ板、小舞貫、間柱等の木材に蓄熱が起こりやすい構造であった。

(4) パントリー北壁付近ガスコンロ台上でガスコンロを使用した場合、壁体とガスコンロとの位置関係、前記認定の北壁の内部構造に、火災まで約二三年間の長期間にわたりガスコンロを反復使用していて木材が乾燥、炭化により既に多孔質化し保温性が高くなっていたと考えられることなどから、本件火災当時、ガスコンロで大鍋を使用すれば、パントリー北壁ガスコンロ付近のベニヤ板の表面は一二二度C以上に加熱され、小鍋使用の場合はさらに高温に加熱されていたと認められる。

(5) 本件出火当時の湿度は、大東館と同町内で、一〇日午後二時の46.0パーセントから少しずつ上がり、午後七時56.8パーセント、午後八時59.2パーセントを最高にその後下がりはじめ、午後九時56.1パーセント、午後一〇時53.6パーセント、午後一一時50.1パーセント、一一日午前〇時50.1パーセント、同一時46.6パーセント、同二時に最低の45.9パーセント、同二時一一分ころ47.9パーセントであった。また、九日午後九時三〇分から一一日午前六時一五分までの間、異常乾燥注意報が発令されており、降水、降雪も九日からなく、みぞれ混じりの雪が降り始めたのは一一日明け方過ぎであった。したがって、本件火災当時は、出火に好条件の湿度であった。

(6) 以上述べたとおり、本件パントリー北壁内部のガスコンロ付近には、長期低温加熱による出火(一般に、木材が危険温度(二六〇度C)程度以下の低い温度で長期間加熱され、木材内部で炭化や化学反応が徐々に進んで炭化部分に無炎着火して、その後発火する現象をいう。)を起こしうる蓄熱しやすい木材があり、ガスコンロによる加熱は極めて長期間にわたって繰り返されており、加熱温度も木材の炭化を進行させうる程度であり、気象条件はむしろ出火に好都合であるなど、長期低温加熱による出火が起こる可能性はあったとみるべきである。

(二) 火災の拡大状況について

次にパントリー北壁から長期低温加熱により出火した場合に、火災がどのように拡大するかについて、それを直接に実験する目的で行われた東京理科大学工学部教授川越邦雄作成の昭和六二年六月二日付鑑定書(以下、「川越鑑定書」という。)記載の模擬火災実験などをもとに推定し、かつそれと目撃状況その他の客観的事実との整合性を検討することとする。

(1) 室内への発炎からパントリードアの燃え抜けまで

パントリー北側壁体から室内に発した炎は、窓ガラスの一部に広がり、接炎により窓ガラスの一部が破損し、壁体の燃焼を支える程度の換気が起こる。やがて、炎は、近くの食器棚などに燃え移り、立ち上がる炎の幅射熱により窓ガラスがさらに割れて新鮮な空気がさらに流入する。食器棚の炎は天井にも移り、天井の燃焼による幅射熱によりパントリー内の火災が拡大し、やがてパントリー内にフラッシュオーバーが起こると推定される。パントリー床の焼燬状況は、北側のガス台の部分だけが截然と焼け残っている状況であり、流し台、収納可燃物等が落下、堆積して、火炎や幅射熱を遮蔽し酸素を遮断したため、その部分だけが焼け残ったものと考えられるから、右推定と矛盾しない。

パントリー内でフラッシュオーバーが起きると、パントリードアにも火が燃え移り、パントリードアが上部から下部へと燃え抜ける。ドアは、パントリー内部での緩慢な火災拡大中に事前の幅射加熱を受けているので、パントリー内フラッシュオーバーからドアの燃え抜け完了までの時間は、それ程長くはないと考えられる。

(2) ロビー内への火災の拡大

野島目撃、吉間目撃は、パントリードア燃え抜け開始後間もなくの火災の状況を目撃したものと解され、そのころは、パントリードアの上部約三分の一の範囲から炎が吹き出し、天井にも着火しているが、同ドア燃え抜け後は大量の黒煙がロビー側へ噴出してきてロビー天井部に蓄積するため、火炎の上部が煙層の中に入って見えにくくなっていく状態であったと考えられる。このように考えると、野島目撃の火の大きさ(両手を広げたくらいで、それほど大きく見えなかった。)、位置(パントリードア付近で、高さは天井まで達していた。)に適合するし、野島目撃よりも少し遅れる吉間目撃の火の大きさが一メートルくらいと野島目撃より小さく、位置も人の顔の高さくらいで天井には達していなかったと野島目撃より低いことを、矛盾なく説明することができる。

このように、パントリー北壁から出火した場合の火災の拡大状況は、多くの目撃状況その他客観的事実を無理や矛盾なく合理的に説明することができる。

(三) 結論

これらを総合して判断すれば、本件火災の出火場所を、山水一階パントリー北壁と、その原因をガスコンロによる長期低温加熱による出火、すなわち、長年のガスコンロの使用により、パントリー北壁内部のガスコンロに近い、ベニヤ板、小舞貫、間柱等に長年にわたって相当深くまで炭化が進行して非常に蓄熱しやすい状態になっていて、一〇日午後七時五〇分ころから五二、三分ころまでのガスコンロ使用による加熱が引き金となって、加熱による蓄熱と発熱反応により発生した熱により、炭化層内部の温度が上昇して内部に無炎着火し、無炎燃焼が炭化部分で拡大し、それがある程度のおおきさになって発炎し、有炎燃焼に移行したものと認められる。

第三  本件火災における被告人両名の過失内容について

被告人両名の過失内容を明らかにする前提として、ホテル大東館の自動火災報知設備を概観し、その取り扱いの実情をみることにする。

一  大東館の自動火災報知設備について

1 火災受信機の概要

大東館の本件火災当時の火災受信機は、能美防災工業株式会社が昭和四六年九月に製作したP型一級受信機で、本館(新館)フロント奥の予約室内に設置され、一台で大東館の本館、山水、ロイヤルのすべてを集中的に管理する機能を有していた(別紙八「火災受信機形状図」参照)。

スイッチ盤内のスイッチ類の配置は、別紙九「スイッチ盤配置図」のとおりで、主電鈴停止スイッチ、地区電鈴停止スイッチ、電鈴一斉移報スイッチ、全復旧ボタンなどが配置されている。火災報知灯は、感知器が火災を感知した場合に点灯して火災受信機を監視する人に火災の発生を知らせるための、赤色のランプである。地区表示灯は、どの地区の火災感知器が火災を感知したのかを示すために、地区の数だけ用意された白色のランプで、本件火災受信機は八〇個の地区表示灯を備えていた。

2 主ベルと主電鈴停止スイッチ

主ベル(主電鈴)は、火災受信機本体の設置場所で鳴動するベルのことをいい、大東館の場合は、予約室内の火災受信機付近の壁面に取り付けられていた。そして、主電鈴停止スイッチは、主ベルの鳴動を止めるためのスイッチであり、下(主ベル鳴動側)が定位(各スイッチにつき予め定められた基準位置)である。

3 地区ベル、地区電鈴停止スイッチ、電鈴一斉移報スイッチ、全復旧ボタン

(一) 地区ベル

地区ベル(地区電鈴、地区音響装置)は、火災受信機の設置場所以外で鳴るベルのことで、主ベルとは独立したものであり、主ベルが鳴動状態にしてあると不鳴動状態にしてあるとにかかわらず、地区ベルが鳴動状態にしてあれば、感知器が作動した際、地区ベルは鳴動し、山水の場合、一階から三階までの各階に一基ずつ、地区ベルが設置されていた。

(二) 地区電鈴停止スイッチ

火災受信機スイッチ盤内の地区電鈴停止スイッチは、普通、地区ベルの鳴動を止めるためのスイッチであり、下(地区ベル鳴動側)が定位であるが、本件火災受信機内部においては、地区電鈴停止スイッチに地区ベルの鳴動および停止の機能を持たせるための端子盤であるbx1からbx80までの端子盤とby1からby5までの端子盤との間の結線がなされていなかったため、区分鳴動の機能がなかったことはもちろん、地区電鈴停止スイッチ自体が地区ベルの鳴動および停止の機能を持っていなかった。したがって、本件火災受信機が火災を感知した場合に、地区電鈴停止スイッチが定位の下(地区ベル鳴動側)にあったとしても、それだけでは地区ベルは全館鳴動も区分鳴動もしなかった。

(三) 電鈴一斉移報スイッチ

火災受信機スイッチ盤内の電鈴一斉移報スイッチは、感知器が火災を感知している時に、全館の地区ベルを一斉に鳴動させるためのスイッチであり、普通の場合は下(不鳴動側)が定位であるが、大東館の場合は、前記のように地区電鈴停止スイッチを定位(地区ベル鳴動側)にしておいても地区ベルが鳴動しないようになっていたので、地区電鈴停止スイッチと回路的に並列に接続されているこの電鈴一斉移報スイッチを上(鳴動側)にすることが、全館の地区ベルを一斉鳴動させるための唯一の方法である、という役割を担っていた。

(四) 全復旧ボタン

自動火災報知設備には自己保持機能、すなわち、一旦作動状態になって電流が流れれば、電流が流れた原因が取り除かれても点灯を継続するという機能があり、火災受信機のスイッチ盤内の全復旧ボタンは、押している間だけ自己保持機能を解除するためのボタンであり、火災受信機が発報した場合に一旦全復旧ボタンを押してもなお発報が復活するときは、依然として感知器が作動状態にあり、一時的な誤発報ではないということが判るようになっている。

4 火災感知器について

火災感知器は、火災による熱や煙の発生を感知して火災受信機に火災の発生を伝えるための器具で、大東館全体では、当時八〇九基の火災感知器が設置されていたが、うち五四基が山水に設置されていた。山水一階には、一一基あったが、本件火災の出火場所であるパントリー北壁に近いものとしては、別紙四「山水一階平面図」に示すとおり、パントリー天井中央部の定温式スポット型熱感知器一基(七〇度Cで作動する。)、パントリー控え室天井の差動式スポット型熱感知器一基(一分間に二〇度C以上の温度上昇があれば作動する。)、ロビー天井(パントリードアから南に一メートル)にイオン化式煙感知器一基が設置されていた。

5 本件火災当時の性能

大東館においては、静岡防災工業株式会社(以下、「静岡防災」という。)との間で自動火災報知設備等年間保守点検契約を締結しており、静岡防災による本件火災前の保守点検は、昭和六〇年一二月二二日実施であり、この点検から本件火災当日まで五二日程しか経過していないから、本件火災当時、山水の右各感知器は正常な機能を有していたものとみられ、本件火災受信機および地区ベル等も大東館独自の地区ベル鳴動方式(前記3、(二)および(三))の点を除き、正常に取り扱われれば機能する性能を有していたと認められる。

二  ホテル大東館における火災受信機の取り扱いの実情

火災受信機の取り扱いには、大きく分けて、定期的な保守点検、発報時の対処、日常的な監視その他の管理、の三つの面があるから、まずそれらについて順次検討する。

1 火災受信機の定期的な保守点検

本件火災当時、大東館では、火災受信機を含め自動火災報知設備については、前述のとおり、静岡防災との間で年間保守点検契約が締結され、年二回の保守点検が実施されていたが、これに関する業者との連絡、点検時の立会い、点検結果に基づく修理発注等は、防火管理者である被告人Tがその業務として行っていた。

2 火災受信機が発報した場合の対処

(一) 火災受信機の発報

火災受信機が発報する場合には、火災受信機の警戒区域内で火災が発生し感知器が作動して発報する場合(火災報)と、火災以外の熱や煙による感知器の作動や感知器の故障、配線のショート、火災受信機への人為的ないたずらなどにより、火災受信機が発報する場合(非火災報すなわち誤報)とがある。

(二) 大東館における火災受信機の発報の頻度

大東館では、多いときで月二、三回、少ない時で月に一回あるかないかという頻度で非火災報が発生しており、その原因は、湿気や雨漏りによる感知器の水漏れ、パントリー内で干物を焼いた煙、宿泊客のいたずらなどであった。

(三) 発報への対処者、対処方法についての定めがないこと

ところが、大東館においては、火災受信機が発報した場合に、誰がそれに対処するか、あるいはどのような手順で対処するかについての定めが全く設けられておらず、それに関する明確な指示も一切存在しなかった。したがって、火災受信機が発報した場合に近くにいる者が何とか対処するという場当り的なやり方が、事実上、行われてきた。

(四) フロント係による発報への対処

右のように定めや指示はないものの、火災受信機は予約室にあってフロントに近いこと、予約室とフロントとの間のドアは常時開放されていたこと、フロントの勤務時間帯は必ずフロント係の誰かがフロントにいることから、昼間に火災受信機が発報したときは、近くにいるフロント係が、事実上それに対処してはいたが、本件火災当時のフロント係七名の中には、誰一人として火災受信機の仕組みや操作方法についてきちんとした指導や教育を受けた者がおらず、人によって知識の程度や正確性には違いはあるものの、総じて断片的な知識しか有していなかったものである。

(五) 当直による発報の対処の可能性

当直は原則としてフロント係一名、仲番一名、場合によっては仲番二名で構成されており、当直時間帯に火災受信機の発報があった場合には、一応、当直の者のうちフロント係の者がそれに対応していた。

仲番の当直の場合、仲番長の被告人Tを除き、火災受信機についてのなんらの指導、教育がなされておらず、火災受信機に対する認識は無知に近く、当直にフロント係の者がいるときはまだしも、仲番二名で当直を行う場合には、火災受信機が発報してもそれに対処することができない状態であった。

(六) ナイトフロント、夜警員による発報への対処の可能性

深夜、午前零時以降に火災受信機が発報した場合には、待機しているナイトフロントと夜警員しか、これに対処する可能性はなかった。ナイトフロントの野島秀行は、上司であるフロント課長の小澤金男または専務の被告人Eや支配人の皆川光雄その他誰からも、火災受信機の扱い方についての指導を受けたり教えてもらったりしたことがなかった。また、それを教えてもらうように言われたこともなかったが、ナイトフロントになる前に、昭和五七年から二年間、アルバイトで大東館の夜警員をしていたころ、当時の夜警員から見よう見まねで火災受信機の操作を覚えたことがあり、火災受信機のスイッチのうち、全復旧ボタンと主電鈴停止スイッチの二つは知っていた。

夜警員の吉間一郎は、昭和六〇年に大東館の夜警員になった時、野島から、主ベル(のスイッチ)だけは火事があったら触れればよく後は用がない、と教えられたが、それ以外に火災受信機の取り扱いを教わったことがなく、主ベルのスイッチを操作すれば、ただベルが鳴ったり消えたりすると認識していただけで、それも全館でベルが鳴ると誤解しており、それ以上の詳しい知識は持っていなかった。したがって、本件火災当時、大東館の午前零時以降を預るナイトフロント野島秀行、夜警員の吉間一郎らは、いずれも火災受信機について指導、教育を受けたことがなく、実際有していた知識も極めて不十分、不正確であった。

結局、本件火災当時の大東館においては、フロント係がいる場合には、火災受信機が発報したときはフロント係が一応対処するということが事実上行われていたが、フロント係に対して火災受信機の操作や発報への対処の仕方について指導や指示が行われていたわけではなかったため、フロント係による発報への対処の仕方やフロント係の火災受信機に関する知識は十分なものではなかった。ましてや、その他の従業員については、火災受信機に関する認識は全く不十分、不正確で、火災受信機の発報に適切に対処できる可能性はなかったものである。

3 火災受信機の日常的な維持管理

(一) 火災受信機の日常的な維持管理の意味

火災受信機は、火災の発生をベルの鳴動および地区表示灯の点灯により発報するものであるから、常に、ベルのスイッチをベルが鳴動可能な状態におき、また地区表示灯等の点灯を直ちに発見しうる態勢をとるための、日常的な監視その他の維持管理が必須である。しかし、本件火災当時の大東館においては、後述(三および四)する被告人E、同Tをはじめ、以下にみるようにその他の従業員にも、責任を持って火災受信機の日常的な維持管理を行う者がいなかった。

(二) フロント係が日常的な維持管理をしていないこと

前記のとおり、フロント係は、火災受信機に近い等の理由によって事実上発報に一応の対処をしていたに過ぎず、火災受信機の日常的な維持管理を行うよう指導、指示されたり依頼されたことはなかったから、フロント係で、火災受信機を監視していたり、定期的に火災受信機の様子を見に行ったり、ベル関係のスイッチが定位にあるかどうかをチェックしていた者はなく、そのような関心も持っていなかった。

(三) 当直が日常的な維持管理をしていないこと

フロント係や仲番が当直を行う場合でも、当直を始める前に火災受信機を点検するようにといった決まりや指示、命令は全くなく、遅番フロントと当直とが火災受信機に関してなんらかの引き継ぎをするようにもなっていなかった。

(四) ナイトフロントによる日常的な維持管理

ナイトフロントの野島秀行は、火災受信機を維持管理するよう誰かから指示や命令されていたわけではなかったが、自分なりに心配だったので、毎日、本館でナイトフロントとして勤務を始める前に、予約室に入って火災受信機の表示灯がついていないかどうかだけは確認していた。しかし、野島は、表示灯が点灯していてベルが鳴っていない場合でも、遅番フロントか当直の者に原因を尋ねる程度で、ベルが鳴るようスイッチを是正することはしなかったから、野島による右確認は、火災受信機の維持管理としてあまり意味を持たなかった。

(五) 夜警員が日常的な維持管理をしていないこと

夜警員の吉間一郎は、勤め始めた昭和六〇年三月ころ、右野島らから、主ベルは切っておけと言われ、反論したところ、偉そうな口をたたくなと言われたことから、「俺はここに触らないぞ。」と断って、以後本件火災まで、一回も火災受信機のところに行かなかった。

結局、本件火災当時、大東館において、火災受信機の日常的な維持管理を責任を持って行う者は誰もおらず、そのように教育、指示されている者もいなかった。

4 地区ベルが切られていたことについて

大東館においては、昭和五九年ころ以降、遅くとも昭和六〇年ころまでには、電鈴一斉移報スイッチを定位の下にして、地区ベルが自動全館鳴動しない状態にされるようになった。このような取り扱いに変った理由は、誤報による地区ベルの鳴動で宿泊客から苦情が出ると営業上支障が出るからということであるが、前記のように、大東館の火災受信機は、電鈴一斉移報スイッチが、地区ベルを鳴らすための唯一のスイッチであったから、電鈴一斉移報スイッチを右のように定位の下にしておくということは、火災により感知器が作動しても、地区ベルは一切、自動的には鳴動せず、主ベルの鳴動または地区表示灯等の点灯により感知器の作動を覚知した者が、電鈴一斉移報スイッチを上に上げて初めて、火災地区を含め全館の地区ベルが鳴動する状態にある、ということであり、従業員が感知器の作動を覚知するため、主ベルの鳴動がほとんど唯一の手段になっていたということを意味していた。

5 主ベルが切られていることがあること

(一) 主ベルが切られている実情

主ベルは、従業員が感知器の作動を覚知するための重要な手段であり、特に昭和五九年ころ以降は、地区ベルが鳴らず、主ベルが鳴らない限り従業員も宿泊客も火災発生を知ることができなかったのであるから、主ベルは常に鳴動可能状態にしておく必要があり、決してこれを「断」にしておいてはいけないはずである。しかし、大東館においては、以下のとおり、主電鈴停止スイッチを非定位の上(不鳴動側)にして、主ベルを切っていることがあった。副支配人は、月に一、二回ある誤報のうち半分以上は、主ベルが鳴らないで表示灯だけがつく誤報であり、朝、出勤した際、主ベルが鳴らずに表示灯がついたままの状態のことが良くあった。また、昭和六〇年一〇月ころ、ロイヤル内宴会場を示す地区表示灯がついたのに主ベルが鳴らなかったので、自分で全復旧ボタンを押してみた、と述べ、フロント係で本件火災までに、一、二回、主ベルが鳴らないで表示灯のみが点灯しているのに気付いたことがあったと述べているものがおり、ナイトフロントの野島は、前記のとおり、表示灯がついているのに主ベルが鳴っていないのに気付き、遅番フロントか当直の者に、その理由を尋ねたりしている。また、夜警員の落合良三は、昭和六〇年の一〇月か一一月ころ、ロイヤル六階あたりの電気室の表示灯が点灯していたのに主ベルが鳴っていないのを発見したが、どのような処置をしたらいいのかわからなかったので、朝までそのままにしておいたことがあり、電話交換手の宮野真弓は、時期は不明だが、一度、主ベルが鳴っていないのにロイヤルのどこかを示す表示灯が一つ点灯しているのを見たことがある。そして、消防署も、昭和六〇年四月一六日、いわゆる「適マーク」のための見直し立ち入り調査を実施した時、主ベルが停止されているのを発見し、被告人Tに厳重に注意したことがある。

(二) 主電鈴停止スイッチを非定位(不鳴動側)にする理由

大東館において、右のように主電鈴停止スイッチを非定位(不鳴動側)にして主ベルを切る場合、その理由にはいくつかある。

まず、館内で改装工事を行う場合や、害虫駆除のための消毒などを行う場合、工事によるほこりや消毒薬の飛散によってたいていの場合感知器が作動して火災受信機が発報するので、主ベルが鳴らないよう、工事期間中や消毒時間中に主電鈴停止スイッチで主ベルを切っておくことがあった。このような目的での主電鈴停止スイッチの「断」は、被告人Tが行ったこともあるし、フロント係の有賀肇や宮野清次が行ったこともあり、小澤フロント課長もこのことを承知していた。これにあたるような工事としては、本件火災の数年前の、本館(月光閣)の天井裏の工事、昭和六〇年一二月の本館内宴会場その他の天井の張り替え工事、昭和六一年一月下旬から本件火災時にかけての本館のリフト撤去工事があり、消毒作業は毎年二回くらい大がかりに実施されていたから、そのような頻度で、主電鈴停止スイッチにより主ベルが「断」にされていた。

次に、主ベル自体の音量も相当大きく、予約室内だけでなく本館フロントやロビーの周辺まで鳴り響くことから、工事等の場合に限らず一般的な誤報防止の目的で、主ベルが切られることもあり、夜警員の吉間一郎は、昭和六〇年三月ころ、夜警員の落合、ナイトフロントの野島から、たびたび誤報があって客に迷惑がかかるから主ベルは切っておけと言われたことがあった。

(三) 本件火災直前の主ベル「断」の状況

本件火災前、最後に確認されている主ベルの鳴動は、昭和六一年一月二〇日ころ、本館六階のパントリーでルーム係が干物を焼いた煙で誤発報した時で、このときは、主ベルの音に気付いたフロント係が予約室に来て、発報に対処した。しかし、同年一月下旬ころから本館でリフト撤去工事が始まったが、その際、誰が切ったかは不明であるが、いつも工事を行う時と同様に、主ベルのスイッチを切っていた。すなわち、このようなコンクリート破壊を伴う工事をすれば感知器が作動するのが通常であるのに、フロント係の宮野清次は工事中にベルの音を聞いておらず、また、同じくフロント係の近藤勝弘は、本件火災の一週間くらい前の朝九時か九時半ころ、主ベルは鳴らずに本館六階のパントリーを示す表示灯がついているのを発見し、確認に行ったら、リフト撤去工事のほこりや粉塵が感知器に入って作動していた。

(四) 本件火災前日の主ベル「断」

本件火災前日の昭和六一年二月一〇日午後七時ころ、ロイヤル五階廊下に設置された感知器の故障によりロイヤル五階客室(地区番号37)を示す地区表示灯が点灯していたが、主ベルは鳴っていなかった。したがって、この時以前から、主電鈴停止スイッチは、非定位(不鳴動側)にされていたものと認められる。

三  被告人Eの過失について

1 地区ベルが切られているのを知っていたこと

被告人Eは、昭和五九年ころ以降、大東館において、電鈴一斉移報スイッチを定位の下にして、地区ベルが鳴動しないようにされていたことを知っており、昭和六〇年秋ころ本館(月光閣)三、四階が原因の誤報があった際、主ベルのみが鳴り、地区ベルが鳴らなかった時も、フロント係に見て来るように指示して右地区へ行かせたが、地区ベルの不鳴動についてはなんら問題にしていなかったのであり、主ベルが鳴って、それが火災報か誤報かを確認してから、電鈴一斉移報スイッチを上げて全館に知らせるという対応で良いと考え、そのような状況を認めていたものである。

2 主ベルが切られることがあるのを知っていたこと

さらに、被告人Eは、大東館において、しばしば、主電鈴停止スイッチの操作により、主ベルが切られることがあることを知っており、火災受信機の火災報知灯や地区表示灯が点灯しているのに、主ベルが鳴ってない状態を何度か見つけたことがあり、昭和五八年七月ころおよび本件火災直前の昭和六一年一月終わりころなどは、表示灯がついて主ベルが鳴っていないので、副支配人に「どうなっているんだ。」と確認を促し、同人から、工事中だからスイッチを切ってあるとの説明を受けており、このようなことが年に三、四回はあった。また、被告人Eは、館内消毒の時にもベルのスイッチを切ること、火災受信機が発報して全復旧ボタンを押しても復旧しない時に主ベルのスイッチを切ることがあることも、知っていたものである。

3 火災前日の主ベルの「断」を知っていたこと

そして、被告人Eは、本件火災前日の昭和六一年二月一〇日午後七時ころ、本館フロントのカウンターの内側から予約室の方へ暖簾をくぐって入り、すぐ右の内階段を通って中二階の会計室に上がろうとしたところ、予約室内に設置された火災受信機の上の方に赤いランプがついていたので、さらに火災受信機に近付いて確認したところ、ロイヤル五階客室を示す表示灯が点灯していたが、主ベルも地区ベルも一切鳴動していないことに気付いたものである。

4 火災受信機を適切に維持管理する等しなかったこと

被告人Eは、日ごろから、自ら、火災受信機の発報の際にこれを適切に対処したり、火災受信機を適切に維持管理する行為を行わず、また、他の者を指揮監督して、従業員に対する火災受信機の取扱い等の指導を十分に行い、火災受信機の発報の際にこれに適切に対処させたり、火災受信機を適切に維持管理する行為を行わせなかった。すなわち、被告人Eは、フロント係は火災受信機の取扱い方法を十分に理解し、昼間はフロント係が、夜間はフロント係の当直または夜警員が、火災受信機の発報に適切に対処できるものと軽信し、火災受信機の発報への適切な対処や適切な維持管理の責任者、担当者や方法についての規則や体制を定めたり、指示を行わず、また、火災受信機の取扱い方法について他の従業員を自ら指導、教育したり他の従業員に指導、教育するよう指示したりしなかったし、現実に主ベルが切られているのを発見した際にも、「どうなってるんだ。」などと他の従業員にその理由を尋ねはしたものの、それが工事等による主ベルの鳴動を防止するためであることを確認したのみで、それ以上に、主電鈴停止スイッチを定位に入れるか地区表示灯の点灯の有無を監視し工事等終了後は速やかに同スイッチを定位に戻すよう指示するなど適切な措置を講じないで、主電鈴停止スイッチが非定位の状態にあるのを放置した。

5 火災前日の誤報に適切に対処しなかったこと

被告人Eは、昭和六一年二月一〇日午後七時ころ、大東館本館予約室内において、火災受信機の主電鈴停止スイッチが非定位(不鳴動側)にある状態でロイヤル五階客室の感知器が異常発報して火災報知灯および地区表示灯が点灯し、主ベルが鳴動していないことに気付きながら、表示灯等の点灯原因に気を取られ、主電鈴停止スイッチを定位に復帰する必要性に思いをいたさず、適切な指導監督をしなかった。もっとも被告人Eは、フロントにいた遅番フロント係山本忠弘および宮野清次に対し、「おい、ロイヤル五階のランプがついているぞ。ちゃんと調べておかなきゃ駄目じゃないか。」と注意したことは認められるが、前記日ごろの取扱い状態にてらすと、発報の原因調査を指示したにとどまり、それを超えて主ベルの是正を指示したものと認めることはできない。

四  被告人Tの過失について

1 地区ベルが切られていたことを知っていたこと

被告人Tは、昭和五九年ころ以降、大東館において、電鈴一斉移報スイッチを定位の下にして、地区ベルが鳴動しないようにされていたことを知っていた。すなわち、被告人Tは、昭和五九年三月まで大東館の電気係をしていた滝和夫またはその他の従業員から、誤報により客から苦情が出ると営業上支障となるので、地区ベルは切り、主ベルだけ鳴るようにして、主ベルが鳴れば調査して火事であれば地区ベルを鳴らす方式に切り替わった、と聞かされ、地区ベルが同時に鳴らないと、火事の時、手遅れになると困るとは思ったが、営業サイドで決めたことなら、主ベルだけでもよいかと考え、防火管理者として反対意見を述べなかった。

2 主ベルが切られることがあるのを知っていたこと

さらに、被告人Tは、大東館において、しばしば、主電鈴停止スイッチの操作により、主ベルが切られることのあるのを知っていた。すなわち、改装工事、消毒等の際に誤作動防止のために主ベルのスイッチを切ることがあったことを知っていたし、発報の処理時に一旦主ベルを切ることがあることも知っており、本件火災の一年ほど前には、大雨で本館(志ほ路荘)の感知器が水びたしになっていたのに、被告人Tがこれを早朝に見たところ主ベルが鳴っておらず、夜警か誰かが主ベルのスイッチを切ってそのままにしていたことがわかったこともあった。また、昭和六〇年四月一六日、消防署が「適マーク」のための見直し立入調査を実施した際、誤報が多いとのことで主電鈴停止スイッチが「断」にされていたことについて、被告人Tは注意を受けている。したがって、被告人Tは、主電鈴停止スイッチが定位に戻し忘れられたままになることがあることも予想することができたというべきである。

3 フロント係がスイッチ位置の点検を行っていないのを知っていたこと

被告人Tは、前述のように、フロント係は火災受信機に一番近いなどの理由で事実上火災受信機の発報に対処しているものの、定期的にスイッチの位置が定位になっているかどうかの確認などは行っていないことを知っていた。

4 火災受信機を適切に維持管理していなかったこと

(一) 本件火災当時は、日ごろから火災受信機の点検を行っていなかったこと

被告人Tは、昭和五八年、「適マーク」の関係で改めて防火管理者に選任され、同人が苦手とする対人的な仕事もこれまで以上に増えて忙しくなっていたため、電気係の滝和夫が昭和五九年三月死亡して三か月くらい経ったころから次第に、火災受信機のスイッチ点検は、場所的に近く、発報の処理もやっているフロント係がやればいい、と漠然と考えるようになり、自らは、もともと、二日ないし五日に一回しかスイッチの位置を確認しないという不十分な管理しか行っていなかったのに、本件火災当時にはスイッチの位置の確認を行わないようになっていた。しかも、フロント係の方でスイッチを正常に保つよう注意していると判断していたわけでもなかった。

また、工事、消毒等で主ベルが切られるような場合でも、その工事等が終了した後に主電鈴停止スイッチが定位に戻されているかどうかの確認もしていなかった。

(二) 本件火災前日も火災受信機の点検を行わなかったこと

被告人Tは、本件火災前日の昭和六一年二月一〇日、仲番の三浦信男とともに当直に当たっていたため、定時の午後九時半に少し遅れて午後一〇時近く、本館フロントに入ったが、ルーム係をしている妻から帰るため送ってほしい旨言われ、自宅に戻ったので、本館フロントに入ったのは午後一〇時半近くであった。被告人Tは、普通であれば当直勤務の始めにまず予約室にはいり火災受信機の地区表示灯等の点灯の有無だけは確認するようにしていたが、この日の当直では右のように遅刻したうえすぐに抜けたりしたので、普段やっている点灯の有無の確認を行わず、もちろん、各スイッチの位置の確認もしなかった。同日午後一一時四〇分ころ、夜警員の吉間一郎から、「もう帰っていいよ。」と言われ、それからしばらくして被告人Tは帰宅し、結局この日の当直では、一度も予約室に入らなかった。また、この日の遅番フロント係の宮野清次からも、もう一人の当直の三浦からも、その日にロイヤル五階の感知器が作動していたことについての話がなく、被告人Tはこれを全く知らないままであった。

5 火災受信機の適切な維持管理を他の従業員に指示していなかったこと

(一) 火災受信機に対する指導、訓練その他の指示を行っていないこと

被告人Tは、日ごろ、フロント係、夜警員が火災受信機の発報に事実上対処していたことから、フロント係の者も誰かから火災受信機の取扱い方を聞いてわかっているものと軽信し、フロント係その他の従業員に対して火災受信機の取扱い方や発報への正しい対処方法、緊急連絡の仕方などについての指導、教育や訓練を行ったり他の者に行わせたりしなかった。例えば、感知器に異常がある時はその感知器を取り外すという処理方法は、フロント係では有賀肇にしか教えておらず、フロント係の全員に徹底していなかった。

(二) 主電鈴停止スイッチを定位にするよう指示していなかったこと

また、被告人Tは、まさか火事などは起こらないと思っていたことや、人にあれこれ指示をするのは苦手で、スイッチ位置のことで指示をすればかえって発報時の処理まで防火管理者である被告人Tの仕事だと押しつけられると思ったため、フロント係その他の従業員に対して、主電鈴停止スイッチを非定位(不鳴動側)のまま放置することがないよう、十分な指示を行わなかった。

特に、自らスイッチ位置の点検を怠るようになった時も、フロント係その他の従業員に対し、火災受信機の主電鈴停止スイッチその他のスイッチが常に正常な位置にあるように点検管理するよう指示したり、被告人Tと点検業務を分担するよう依頼することをしなかった。また、消防署の査察で、火災受信機のスイッチが切られていると注意された時にも、フロント係の者に対し、何らの注意も指示も与えなかった。

五  被告人両名の過失の競合

1 前日の発報への対処が不適切であったこと

本件火災前日の昭和六一年二月一〇日午後七時ころ、被告人Eからランプがついていると言われて、遅番フロント係の山本忠弘は、予約室に入って火災受信機を見、ロイヤル五階客室の地区表示灯が点灯しており、主ベルが鳴っていないのを知り、まず、全復旧ボタンを押してみたが、表示灯は全復旧ボタンを押している間は消えるものの、ボタンを離すとすぐに表示灯がついてしまい、復旧できなかったので、宮野清次に「復旧しませんけど。」と言いながらフロントに戻り、ロイヤルのフロントに電話をし、フロント課長の小澤金男に、ロイヤル五階のランプがついているので調べてくれるようと頼み、小澤から「わかった。」という返事をもらった。宮野清次も山本と入れ替わりに予約室に入って火災受信機を見たが、やはり、ロイヤル五階の地区表示灯だけが点灯し、ベルが全く鳴っていない状態で、全復旧ボタンを押しても復旧しなかったので、ロイヤルのフロントに電話をすると、ロイヤルのフロントの小澤が、「さっきも電話来たんだけどな。」というので、よく調べてくれと伝えて電話を切った。また、宮野は、ロイヤル五階のパントリーにも直接電話をしたら、ルーム係が出て、「よく調べたが大丈夫だった。」という返事だったので、念のため、風呂場の方もよく調べるように伝えた。

連絡を受けたロイヤルでは、ルーム係や仲番らがロイヤル五階の各客室や廊下を点検して回ったが、火の気や煙がないことや押しボタン式の火災発信機に異常がないことだけ確かめると、特に報告もしないまま別の仕事に移ってしまっている。

山本忠弘は、小澤から「何でもないようだ。」との電話を受け、また、宮野清次は、ロイヤルのフロント係やルーム係から返事をもらわないまま、火災受信機の発報への対処を終えたため、結局、ロイヤル五階を示す地区表示灯はつきっぱなし、主電鈴停止スイッチは非定位(不鳴動側)のままに放置された。

被告人Eからは、当日午後八時ころ、宴会場の様子を尋ねる電話がフロントに入ったが、火災受信機についての話は出ず、その他にもロイヤル五階の発報がどうなったかについての問い合せはなかった。さらに、山本、宮野らは、当日の当直であった被告人T、仲番の三浦、ナイトフロントの野島に対し、ロイヤル五階の表示灯がついたままであること、主ベルが鳴らないこと、その他火災受信機に関して一切の引き継ぎを行わなかった。

右のように、火災受信機の主電鈴停止スイッチが非定位(不鳴動側)になったまま、ロイヤル五階客室の感知器が故障により発報していたにもかかわらず、その場にいあわせたフロント係の山本、宮野がロイヤル五階に火災が発生していないことを調べさせただけでそれ以上の発報原因の調査を行わず、主電鈴停止スイッチを非定位(不鳴動側)にしたまま放置した原因は、被告人両名が、日ごろから従業員らに対し、火災受信機に関する十分な指導監督または指示を行なっておらず、火災受信機の発報に適切に対処する体制になっていなかったこと、山本、宮野も火災受信機に関する十分な知識を持ち合せていなかったこと、および、被告人Eが山本および宮野に対して不十分な指示しかしないままその場を離れ、その後の確認もしなかったことにあるというべきである。

2 当直による点検が行われなかったこと

本件火災前日の当直であった被告人Tは、前記四、4、(二)に述べたように、当直時に火災受信機の点検を一切行わなかった。また、もう一人の当直であった三浦信男は、郵便物の有無を確かめるため予約室には入ったものの、火災受信機については全く注意を払わなかった。

右のように、当直勤務の両名によっても、火災受信機の主電鈴停止スイッチが非定位(不鳴動側)のまま看過された原因は、被告人Eが、日ごろから、当直を行う被告人Tその他の従業員らに対し、火災受信機の取扱いに関する十分な指導監督を行っておらず、また被告人Tが、日ごろから、当直を行う従業員らに対し、火災受信機に関する十分な指示をしておらず、当直によって火災受信機が適切に維持管理される体制になっていなかったこと、および被告人Tにおいて日ごろから火災受信機を適切に維持管理することを怠っていたことにあるというべきである。

3 ナイトフロントが主電鈴停止スイッチを非定位のまま放置したこと

ナイトフロントの野島秀行は、火災前日の午後六時半から七時の間ころ、従業員食堂で食事をした後、ロイヤルフロントで勤務するため地下通路を通ってロイヤルに戻ったが、ロイヤル一階からロイヤルフロントのある二階に階段で上がる途中、誰かから、「ロイヤルでランプがついている。」という話を聞いた。そこで、野島は、誰から指示されたわけでもないが、ロイヤルの三階から六階までを煙が出ていないか見て回った。しかし、何も異常はなかったので、ロイヤル二階に戻り、小澤に、何ともなかったと話した。

野島は、午後九時ころ、本館フロントに行った。普通であれば、この時予約室に入って、電話交換手に声をかけて火災受信機を見るが、この日は、フロントに入ってすぐ、予約の電話や、宿泊客からのテレビの調子が悪いとの苦情などがあったため、まずそれらを処理し、そのあと、午後九時二〇分ころ、電話交換室に行って電話交換手の宮野真弓に「おはよう」と声をかけ、いつものように受信機のランプを点検した。野島は、この時、確かに、火災受信機の上部の火災報知灯と地区表示灯の一つがついているのを知り、これがロイヤルの誤報のためについているランプだなと思ったが、自分でもロイヤルの館内を点検しているし、本館のフロントの者もそれなりに対処しているだろうと思ったので、地区表示灯が点灯し、主電鈴停止スイッチが非定位(不鳴動側)のままにあるのを知りながら、なんらこれを是正する措置を講じなかった。

右のように、ナイトフロントの野島が、主ベルが鳴らない状態にあることを知りながら放置した原因は、被告人両名による野島に対する火災受信機取扱いに関する指導監督または指示が不十分で、ナイトフロントにより火災受信機を適切に維持管理する体制がとられていなかったこと、実際、野島も火災受信機についての正確な知識を有していなかったことにあるというべきである。

4 夜警員が主電鈴停止スイッチの非定位を看過したこと

夜警員である吉間一郎は、火災受信機に関する業務をなんら行っていなかったため、火災当日も予約室にはいって火災受信機の点検をすることをせず、主電鈴停止スイッチが非定位(不鳴動側)にあることも知らなかった。

右は、被告人両名が、夜警員に対し、日ごろからなんら火災受信機取扱いに関する指導監督または指示を行っておらず、夜警員が火災受信機を適切に維持管理する体制が確立されていなかったことが原因であるというべきである。

5 火災発生時に主ベル等が鳴動しなかったこと

昭和六一年二月一一日午前一時四七分ころ、山水一階パントリー北壁から長期低温加熱により出火した際、感知器が火災を感知し、火災受信機が発報したにもかかわらず、日頃から「断」にされていた地区ベルはもちろん、主電鈴停止スイッチが非定位(不鳴動側)のまま放置されていて主ベルが鳴動しなかったため、ナイトフロントの野島秀行、夜警員の吉間一郎は火災の発生を早期に覚知することができず、同日午前二時六分過ぎころ、野島が火災の発生を知り、同七分過ぎころ、山水に駆けつけた時には、もはやロビーまで火災が進展していて消火活動や宿泊客への火事触れ、避難誘導等を行うことができず、結局、自ら火災を覚知した二名の宿泊客を除く山水のすべての宿泊客二三名および山水一階に居住していた従業員一名は、避難を行うことができず、火煙による一酸化炭素中毒の後、焼死するに至った。

六  避難可能性について

本件火災発生の際、前記認定の出火場所と出火原因を前提とし、前述のように、山水一階パントリー内やその付近に設置されていた火災感知器が正常に作動していた場合、主ベルが鳴動していれば、山水の在館者が避難できたことを感知器の作動時刻とその後の避難所要時間および避難可能な限界時間からみていくこととする。

1 感知器の作動時間

山水一階のパントリー内とその付近に設置されていた感知器は、前述のように三個あり、そのうちの一基はパントリーのほぼ天井中央部の定温式感知器であり、ほかの一基はパントリー控え室の天井中央部に設置された差動式感知器であり、もう一基は、同パントリードア南側付近のロビー中央部東寄り天井部にイオン化式感知器が取り付けられていた。前記川越鑑定書によれば、最初に感知するのは、パントリー控え室の天井部に設けられた差動式感知器で、パントリー内に炎が現れてから約二分半後であったと推定している。また、同鑑定書は、ロビー天井部のイオン化式感知器も約三分後には作動したとしている。したがって、本件火災において、万一パントリー控え室の感知器が不作動であった場合でも、約三分後には、ロビー天井部に設置されていたイオン化式感知器が作動したと認められる。

そして、川越鑑定書の模擬火災実験を参考にして、工学博士山田常圭作成の鑑定書によれば、本件火災では、炎が屋内に出てきてから三分三〇秒以内には、火災を感知して主ベルが鳴動したと考えるのは妥当としている。

2 避難所要時間

主ベルが鳴動していれば、夜間の待機場所である手配センターで待機中のナイトフロントの野島および夜警員の吉間が、山水一階のパントリーに駆けつけ、火災の発生を確認するまでの所要時間は、多く見積もっても主ベル鳴動後約一分半であり、野島および吉間の両名とも、地区ベルを鳴動させるためのスイッチの操作ができず、両名で手分けして火事触れを行う最悪の事態を想定しても、宿泊客らの覚醒、起床までの所要時間は火災確認後約五分であり、それから身仕度に要する時間は約二分、移動に要する時間は約一分であり、火災感知器作動後の避難所要時間は合計約九分半で、パントリー内部に災が出てから避難が完了するまでの時間は約一三分であると認められる。

3 避難可能な時間

山水一階のパントリー北側壁から炎が出始めてから同パントリードアが燃え抜けて炎がロビー側に噴出し始めるまでの時間は、川越鑑定書によれば、火災の拡大が最大限速い場合を想定しても約一九分であると推定し、急激な火災に巻き込まれず避難可能な時間は、火災感知器が作動してからパントリードアが燃え抜けるまでの約一五分三〇秒であるとしているが、このことは、同ドアが燃え抜けて炎がロビー側に噴出するようになれば、大量の酸素が短時間に消費されるため、ロビーの煙は毒性の高い一酸化炭素を多量に含み避難ができなくなることを考慮したものであって妥当なものと認められる。

そして、前記認定のように火災感知器が作動し主ベルが正常に鳴動した場合に、避難に必要な時間を最も多く見積もっても避難が完了するまでの時間は約一三分であるから、宿泊客らの避難を完了させた後約二分半の余裕が認められる。また、パントリードアが燃え抜ける前に、同ドアの周囲の隙間からの煙の噴出のみで山水の二階、三階の廊下などに煙が充満して上階全体からの避難が困難になる程危険になったとは認められない。

以上にみてきたように、本件火災において、主ベルが鳴動する状態になっていれば、全宿泊客らを安全に避難させることができ、死亡者は出なかったのであるから、被告人両名は、その過失責任を免れない。

(量刑の事情)

第一  被告人らに不利な情状

一  結果の重大性

1 二四名の人命が失われたこと

本件火災で死亡した二四名は、夫婦で温泉旅行に来ていた者、会社の同僚らでゴルフ旅行に来ていた者、また、大学のクラブ仲間で遊びに来ていた者などさまざまであるが、いずれも熱川温泉における休日を楽しんでいたものである。中には相当以前から大東館に宿泊の予約をしていたにもかかわらず、本館ではなく古い山水に部屋をあてがわれた者や、前日たまたま外交番頭に勧誘されて大東館に宿をとり他が満室のため山水に泊ることになった者もあり、偶然とはいえ、その不運に対し同情を禁じえない。

2 遺族の悲しみや怒りの大きいこと

本件火災により、働き盛りの夫を、学業半ばの息子を、あるいは両親や兄弟を失った遺族たちの悲しみは、まことに深いものがある。ホテル大東館で火災が発生し、宿泊客が行方不明になっているとの報で駆けつけ、何とか肉親が無事でいてほしいと祈っていたが、その願いもむなしく、変わり果てた遺体と対面することとなった遺族の無念さは察するに余りあるものである。自転車の音がすると息子が帰ってきたかと思い、電話が鳴ると娘からではないかと思う、という子に先立たれた親たちの心情、夫を失い残された一歳の子は父の顔も声も姿も知らないまま成長しなければならないという妻の叫びには、胸を衝くものがある。

また、遺族らは、本件惨事の原因が、大東館の防火体制の不備にあったことを知り、怒りがこみ上げている。

二  過失の重大性

本件火災がこのような大惨事となった原因は、被告人らが火災受信機の主電鈴停止スイッチを定位にしていなかったため、主ベルが鳴動しなかったことにある。主電鈴停止スイッチが非定位(不鳴動側)にされたままの火災受信機は、本件火災時にも、人気のない予約室内で、誰にも気付かれないまま、火災報知灯および地区表示灯を点灯させていたものであるが、主電鈴停止スイッチさえ定位にしてあれば、ただちにナイトフロントらが火災を覚知し、避難誘導に移ることによって、一名の犠牲者も出さずにすんだはずである。被告人両名が、火災に対し注意を払い、最低限主ベルの機能を維持することは可能であったから、それさえも怠った被告人両名の過失は極めて重大であるといわなければならない。

三  社会的影響

本件火災は、南伊豆でも有数の熱川温泉街の、旅館や保養所が密集する一角で発生したものであるが、火災を早期に発見できず、山水が全焼するに至ったため、鎮火に至るまでの間、延焼した熱川グランドホテルや大東館本館の宿泊客のみならず、周囲の旅館の宿泊客の不安は大きいものであったと推察されるし、本件のような防火管理の不備による惨事の発生が、旅行客や観光客に大きな不安を抱かせたことも想像にかたくない。

四  被告人らに個別の情状

1 被告人E

被告人Eは、大東館の実質的経営責任者として、また、宿泊客らに安全な宿泊場所を提供することを業とするものとして、宿泊客らの生命を守るため、主電鈴停止スイッチを定位に維持しなければならない最高の責任があり、また、そのために従業員に対する火災受信機取扱い等の指導を徹底して体制を整備し、従業員らを指揮監督する権限も有していながら、それを怠り、本件のような惨事を生ぜしめたものであり、しかも、その背景には被告人自身の防火管理意識の希薄さから、大東館の防火管理体制が無防備きわまりない状態で放置されていた実情があるから、本件惨事の究極の責任は被告人Eに帰せしめられ、同人が最も重い刑事責任を負うべきものといわなければならない。

2 被告人T

被告人Tは、大東館の防火管理者に選任されている者として、また、実質的にも防火管理の業務を担当していた者として、宿泊客らの生命を守るため、主電鈴停止スイッチを定位に維持すべき責任があり、また、そのために他の従業員らに指示することもできたのに、それを怠り、本件惨事を招いたものである。被告人自身、防火管理の重要性を知らないではなく、また一時は、不完全ながらも、スイッチの位置の点検を行うなどしていたのに、本件火災当時は気の緩みからなんら火災受信機の維持管理を行っていなかったことは、極めて遺憾なことであり、その刑事責任は決して軽くはないものといわざるを得ない。

もっとも、その背景には、大東館において防火管理体制が確立されていなかったことから、防火に関するさまざまな負担が被告人T一身に集中し、他方、被告人T以上に権限を有する支配人や、もう一人選任されていた防火管理者がなんら防火管理業務を行っていなかったという実情があり、被告人Eの刑事責任に比べれば、被告人Tには酌量の余地があるものというべきである。

第二  被告人らに有利な情状

一  示談の成立

本件火災後、合資会社大東館と死亡した被害者の遺族らとの間で、裁判上、裁判外での和解交渉が行われた。その結果、二三名の宿泊客らの遺族に対しては、平成三年一月までに、総額で一五億五七六〇万円の和解金が支払われ、また、従業員土屋の遺族に対しては、労災保険金一〇〇〇万円弱のほかに大東館側から一〇〇〇万円弱が支払われた。

右額の支払いにより、被害者らの命が帰るものではないが、一応、被告人らの側から誠意を持った慰謝の措置が講じられているものと評価することができる。

なお、延焼した熱川グランドホテルとの間においても和解が成立している。

二  慰霊の措置

合資会社大東館が一部遺族らと裁判上の行った和解では、大東館が慰霊碑を建立することが合意内容となっているが、これは、地主である奈良本財産区の許可が得られず、未だ実現していない。寺の地所を借りて慰霊碑を建てる案についても遺族らの承諾を得られていない。そこで、大東館では、山水跡地に小さな斎壇を設けてあり、被告人らは、他の従業員ともども、花を供えたり線香をあげたりして、被害者らの霊を慰めてきた。

三  被告人らに個別の情状

1 被告人E

被告人Eは、南伊豆地区で規模、売上高とも屈指の大東館を、母である故女将から引き継いで以来、その若き経営者として、地域経済の原動力となっていた。また、その間、地元商工会の青年部長や理事、消防団員も勤め、地域の各種の会合にもよく出席するなど、地域社会へも貢献してきた。

本件火災後は、犠牲者の冥福を祈り、遺族に対して心から反省の言を述べるとともに、自己の過失を反省している。

2 被告人T

被告人Tは、元来、真面目で誠実な性格で、大東館を縁の下の力持ちとして長く支え、大東館内外の誰からも信頼されている者であった。本件火災後は、犠牲者、遺族に対して申し訳ないという気持ちを強く持ち、反省の念を深めている。

第三  結論

以上の諸情状を総合考慮するとき、被告人Eに対してはその刑の執行を猶予する余地はなく、禁錮二年に処するのが相当であり、被告人Tについては、禁錮一年に処したうえ、情状によりその執行を猶予するのが相当であると考える。

(裁判長裁判官上田耕生 裁判官服部金吉 裁判官松村徹)

別紙一ないし九〈省略〉

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